私は小学校のPTA会長を3年間担当しました。
この3年間で先代の運営方法からかなり見直しをしました。
小学校の規模や歴史や地域性なども含め、皆さんの所属するPTAとは前提が異なることは多いと思いますが、何かのヒントになればと思い、見直した運営方法をシェアしますね。
私が会長を担当するまでのPTA運営とは
先代・先々代は会社経営者でもあり、かなりのカリスマ性をもっていました。
まだ歴史の浅い小学校だったため、初期の会長や役員さんたちは手探り・試行錯誤で昼夜関係なく頑張っていたようです。
そのようなPTAを引っ張っていくにはかなり強いリーダーシップが必要でした。
イケイケドンドンで周りが御神輿に乗せてガンガン突き進むタイプのPTA会長です。
同じ保護者の立場でありながら、やり方が主従関係となる面もあるため反発する役員も一部いました。しかし、大半は会長の意思を尊重していて全体的にはうまく運営されているという状況でした(そのような進め方でもしないとうまく回せないという雰囲気)。
そのようなPTA会長のもとで、私は副会長を務め、PTA役員会議の運営を任されていました。
年間行事を踏まえた議題の選定と会議進行および議事録作成です。
それに加えて、年度によって個別行事の主担当も受け持ちます(レクリエーション関係や広報など)。
かなり重労働な副会長時代でしたが、私の先代の副会長も同じような動きをしていたため、このPTAではこれがスタンダードであるということで、きついながらも納得して役割を全うしました。
また、他に2名の副会長もいましたが、このような作業は私が慣れているため、ほぼ全てを一人で担当しました。
そのような先代までの会長と、自分自身の副会長の運営方法のまま、次のPTA会長を引き受けることになりました。
様々な重圧を感じたPTA会長(初期)
バリバリの経営者カリスマ会長から引き継いだ私は極々普通のサラリーマン会長です。
私はほぼ毎日残業のためPTA役員会議は平日の夜には開催できないし、何か学校で問題があってもすぐには校長のもとには駆け付けられない、地域の勢力者と人脈もコネもなく更に地元出身者でもなく、また、夜の懇親会で全会員分の会費を支払えるわけでもない、ナイナイ会長でした。
先代から会長を頼まれたときに「時間もコネも金もないんですが大丈夫ですか」と真剣に確認したぐらいです(^^; ※先代は大丈夫と答えるしかなかったですが。
また、更に不安だったのはPTA副会長の人選でした。
これまた3人中2人が経営者副会長だったのです。
先代のようなカリスマPTA会長の方が収まりが良いんです。
私は種類は異なれど、IT企業でPM~SEまで担当する仕事柄、議題選定とか議事録は普段の仕事とあまり変わりません。
会社のトップはやはりそのような細かい作業は日頃やらないでしょうから、無理なことは分かりました。
でも、この体制でやらなければなりません。
また、私の代で直ぐにスタイルを変えるわけにも行かず(先代までを否定するようで)、しばらくは同じような運営を続けました。
PTA会長兼副会長
予想通り、あまりうまくは行きませんでした。
やはりPTA会議がスムーズに回りません。
議題決まらず、会議終わらず、議事録作らず です。
私は先代の副会長の仕事を見て、副会長の動き方を学びました。
私から後任の副会長には、慣れていだろうと考え、仕事の進め方の引継ぎをやりました。
しかし、引継ぎしても議事録が書けるわけではないですよね(^^;
そのうち、私が従来やっていた議題選定・会議進行・議事録作成も引き取りました。
PTA会長としての諸々の判断や各行事での挨拶などもやりながらなので、仕事量も増えますし、プレッシャーも感じます。
そのうち、とうとう嫁さんと衝突してしまいました。
「PTAの名のもとに自分のことしか考えていない」と指摘されました。
私はその時、忙しさと先行きの不安など重圧を抱えていたため、耐えられず反発しました。
仮に自分のことしか考えていなくても、嫁さんには理解して欲しかったという甘えもありました。
しかし、その時に気付いたのです。
本来は一番に考えなければならない子ども達のことがなおざりになっていたのです。
凄く反省しました。
このままでは、PTAの運営が私のキャパの範囲でしか回せないし、子ども達との大切な時間も何事もなく過ぎていくだけです。
そこで、改めて会議運営の役割分担から考え直しました。
- 会議運営は副会長が担当する(3名で役割を細分化する)
- 議題は年間計画で各回の議題も大筋決めておく
- 議事録は全役員で持ち回りする(のちに、全員の手元メモを集めるだけにした)
- これらの役割を明文化(文書化)しておく
自分でいうのも何ですが、会議のスーパーマンがいなくても、体制が変わってもマニュアルに
沿ってやれば粗方はできるやり方は何かという観点で考えました。
これは、普通にやっているPTAもあるでしょうけど、私のPTAでは違いました。
カリスマ性のあるリーダと個々強い意志を持っているメンバーで、ゴールに向かって行けていました。
しかし、普通のサラリーマンの私は個人の力もないため、PTA役員というチーム力(組織力)で事を運んで行く必要があったのです。
これらで直ぐに成果が出たわけではありませんでしたが、PTA役員のそれぞれの想いだけでなく、役割を明確化することで、やるべきことが共通認識となった訳です。
それで、徐々に私の負荷は下がり、「作業」だけでなくPTA活動の中身の改善の方に力を注いでいけるようになりました。
サラリーマンPTA会長が果たそうとしたこと
私はPTAをチーム(組織)で回そうとしました。
私自身の副会長時代や会長初期は個々の力で保っていましたが、限界がありました。
私自身がそのような経験や想いをしたため、次期PTA会長や役員の皆さんが、できるだけ負担と感じることなく子どもと学校のサポートに重点を置いた働きができることを目指しました。
そこで、更に仕組みを考え直しました。
- 年間計画表を年初に作る(これがない状態でやっていたんです)
- 行事ごとに主担当と副担当を割り当て、次年度は副担当が主担当をやる
- 各種書類・議事録はクラウド上にUPする(OneDriveを使いました)
カリスマ時代は役員たちが各々カバーしあいながらやれていましたが、私の代ではこのようにあらかじめ計画したり仕組みを構築して、作業は作業として粛々と行えるようにしました。
繰り返しますが、このような初歩的なことができていなかったんです(^^;
私自身が、あまり頭の回転がはやくないため、何か行動を起こすときには「なぜやるのか」「どこを目指せばよいのか」「誰のためにやるのか」がサッと出てきません。
なので、それをいちいち考えなくて良いように、作業としてやることは予め決めたかったのです。
このような運営方法に変えて、次のPTA会長・役員に引き継ぎました。
現在は私の子ども達は小学校を卒業したため、細かな状況は見えていませんが、たまに会うPTA会長のお話だと、スムーズに運営できているということでした。
サラリーマンPTA会長の心配(退任後)
私は、PTA運営がチームで回せるように、また役員に負担がかからないようにと役割の明確化と仕組みの整備を行いました。
一応、見直しの目標は達成できました。
しかし、一方で心配なこともあります。
それは、「明文化したことしかやらなくなる」ことです。
私は作業は作業として負荷を掛けずさっさとやろうという意味で、見直しをしましたが、「これだけやっていればPTAは回る」と勘違いされると、本来のPTA活動ではなくなってしまわないだろうか と考えることがあります。
でもきっと、次のPTA会長も自分たちにあった仕組みやルールを作っていってくれているでしょう。
まとめ
私の3年間のPTA会長時代には、PTAの運営をチームで回せるようにすることを目指しました。
まだ若くて未熟な組織だったため、初歩的な対応かも知れませんが、この記事で何か少しでもお役に立てることがあったらうれしいです。
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